私の大人の生徒さんがfは元気かどうかと声をかけてくださいました。
学校には通ってないことに対して彼女が仰るお話が衝撃的でした。
「学校が合わないのですね。
ああいう子はプライドがあるのよね。
親戚の知的障害の子もプライドがあるから注意すると機嫌が悪くなって親も大変よ。」
私に対しての気遣いからfのことをきいてくださったので悪気などないのですが、考えてしまいました。
ああいう子…って、障害のある子ってことなのでしょう。
私はfが場面緘黙症だということを話しています。
そして、診断のされるいわゆる障害はありませんからそのことには特に触れてはいません。
誤解されていることはまあいいとして、障害がある方を上から見てしまうのは嫌だと思いました。
知的障害がある子は私にはいなくても、奥様の考え方に心を痛めました。
実際に我が子が知的に障害のある子だったとしたら傷ついたと思います。
それからもう一つありました。
その後、奥様は
「f君、もったいない。何かできることないの。親戚の知的障害の子はお仕事が好きなのが助かるのよ。」
とおっしゃいました。
その時はとっさに言い返す言葉など浮かびませんでしたが、もったいないってどういうことかしらと思いました。
fが学校に行かないことを脱落者として捉えたのでしょうかね。
子供がどう教育されどう成長していくかは人それぞれです。
子供自身が必要な環境に身をおけばいいのだと思います。
奥様のように、「学校に行かない選択は脱落者」という考え方は一般的なのかもしれませんが、
私としては「学校に行かない選択」はもったいないことではないと思います。
頑固な奥様には時々、思い込みの偏見を感じます。
「女の子が産めなかったのは可愛そう。」
それもその奥様の改めない考え方です。
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街並みにはクリスマスツリーがちらほら飾られ始めましたね。
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