カテゴライズにこだわることもないのですが、ギフテッドの困り感等の理解を広めているからには、ここのところは認識を改善したいと思うところがあります。
「ギフテッドは言語理解のスコアが高くて処理速度が遅い」
とおっしゃる専門家がいらっしゃいます。
私としては、この定義はおかしいと思います。
人の脳の働きもそれぞれ様々な特徴があります。
脳の機能が何に偏っているかなど問題ではありません。
知能が高ければギフテッドである可能性があるのです。
あの定義でギフテッドであるかどうかの判断をするのは間違いだと思います。
例えば、言語理解のスコアが低くて処理速度が早く全体のIQが150の人をギフテッドではないとしてしまうと、
ギフテッドとは何なのか、私には理解ができなくなります。
言語理解のスコアが高く処理速度が遅いというのは、アスペルガー症候群の特徴であったとしてもギフテッドの特徴ではないと考えています。
この話は、
決して、アスペルガー症候群とギフテッドを比べて優劣をつけているのではないので、誤解のないようにお願いいたします。
そう認識することでざっくりと網ですくい上げ、ギフテッドと思われる方々が理解されることで困り感が救われることが大切なのです。
優秀な人が語学に長けているとは限りません。
優秀な人が理数に長けているとも限りません。
人の脳は並一通りではないからです。
なのに、ギフテッドに関しては「言語理解が優れている」と偏った認識をするのはおかしいです。
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加えて、知能検査では本来のスコアがうまく測れない場合もあります。
検査は万能ではないからです。
そのせいでギフテッドであろうはずの人がそうではないとされる可能性が出てきます。
ここでは、あの定義(言語理解に長け処理速度が弱い)に限って考えます。
全体では高IQで実際には言語理解の能力が高い場合でも、言語理解のスコアが実際より低く出る場合もあります。
その場合、あの定義ではギフテッドではないと判断されてしまいます。
本来は言語理解は高くギフテッドであるにも関わらずその定義の上ではギフテッドではないということになるわけです。
言語理解の検査がうまく測れない例として場面緘黙や緘黙の人の場合があります。
平らに言えば、
試験ではやっとのことで発話ができ、いい間違えに気づいたとしても、慌てて言い直すのはとてもハードルが高いのですから、上手くは測れないのですよ。
これで理解していないって判断も乱暴ですね。
ちなみに、fに関しては、幼い頃の言語理解のスコアはとても高かったのですが、緘黙の症状が強く出るようになってからのそれは普通よりは高鋳物ではありながらも大幅に低くなりました。
本来のはかられるべき能力は緘黙の影に隠れてしまったと言えます。
場面緘黙の症状のあるお子さんのママさんも
「言語理解はできているのだけどよその方とは話をうまくできないのだから言語のスコアなど測れないですよね。」
とおっしゃっていました。
とても賢いお子さんで言語を理解できていないはずはないのです。
授業を聞いただけで普通を遥かに超えて勉強ができるのに言語理解のスコアが平均値を少し超えたくらいというのは正しく測れてはいないでしょう。
(何度も申して恐縮ですが)緘黙の場合、言語理解があっても、それをテストでは測れない場合があると思います。
緘黙のお話を加えましたが、ギフテッドなのに緘黙であれば言語理解の能力などわかっていただけません。
発話できないだけであって、理解ができないのではないので、検査の方法も変えなくてはいけないのだと思います。
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中学のママ友さんから夜の6時半頃に急なお呼び出しがあり池袋の御会祭に行ってきました。
食事の用意をして、速攻出かけ、7時半にはついてましたから、我ながら早業でした。
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