fは、私に対して、嫌な言葉を発します。
「汚い」などと。
言われるたびきカッとしてしまいます。
(本当に汚くて臭いのかもしれないけれど。(^_^;))
場面緘黙の講座でも資料に書いてありましたが親に対して反抗的な態度を取るというのも一つの特徴だそうです。
【思春期なら緘黙じゃなくても普通にあることだとおっしゃってくださる方もいらっしゃいますので、反抗期特有のそれでもあるのかな】
心理的にはとてもわかります。
外で話せなかったり関われなかったり孤独になってしまうという悲しみを背負っていますから、親とは関わりたいサインを出すのでしょう。
家では親と関わるための一つの手段なのです。
意味なくそう言って、私の反応を待っているのだと思います。
【この辺も思春期の反抗期とダフりますから、反抗期日記ということにもなりますね。(笑)】
そういうものだとわかっていても、苛立ってしまうと怒鳴ってしまいます。
しかし、余裕があれば、その汚言は「ママ」と声をかけてくれているのだと思って、「どうしたの?」と問いかけてみます。
すると、「これ」などと言って手にしたものを見せたりするのです。
こういう言葉も最大限にこちらを振り向かせたい手段なのだと思います。
外では最小限に目立たないようにしている反動なのかなと思ったりしています。
こういった脳の原始的な反応を思うと、不憫になります。
こういった特性をご存知ない方がそれを見ていたら、人によっては怒鳴るかもしれません。
しかし、幸いなことに外や他の人がいるとそのようなことはしない(出来ない)ので、良かったなと思います。
本人だって、それが許されることだなんて思ってないですから、深い意味をわかってくれる親にだけするのだと思います。
例えば発達系に課題のある子など、その特性を親のしつけが悪いからなどと思われることもあります。
それと同じように理解されづらいことだと思います。
こんなへんてこな態度は、私にしかしないのですから、私がわかっていれば特に問題はないわけです。
ただ、こんなことで悩まれていらっしゃる方がいらしたら、「辛いことがたくさんある子にとってのほんの少しだけの叫びなのだ。そして自分に振り向いてもらいたいサインなのだ」と思ってあげてほしいなと思っています。
ちなみに、場面緘黙症の人は、兄弟とも普通に話せない場合が多いのです。
そんな特性など、接したことのない方は普通に理解できなくても不思議はないです。
私は緘黙の特性をマイナスに思ってしまうのですが、fの周りの方々はよく、
「f君とはたとえ言葉がかわせなくても心で通じあえてます。」とおっしゃってくださいます。
逆の立場で私がそう思えたでしょうか。
fは、とても素晴らしい方たちと出会えていると思います。
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教室に来ている5歳の子が粘土で作ってくれたお弁当です。
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