fは些細なことを気にする子で見ていても気の毒でした。
小さい頃は癇癪を起こすこともありました。
例えば、fが言い間違えたときに、「あっ」と私が言った瞬間、座り込んで足の甲というか親指の付け根を力いっぱいこすってわーっと泣きました。
なだめられても泣き止まず手を付けられないのでそっとしておいてクールダウンさせるしかありませんでした。
fを育てるに当たっては、あまり近づきたくない意識があり気持ちの上での距離をおいていました。
都合の良いことに、
fは小さな頃は黙々と自ら学ぶ子供だったので、ある程度近づかずに見守っていても良い状況もありました。
そっとしておけば癇癪も起こさず、彼の世界観を大事にしてあげると、只々やる気のある頼もしい子でもありました。
とはいえ、複雑な精神性は生まれつきです。
今もなお、fとの距離を感じます。
しかし、ギフテッドと思われる長男はことの原因を自分にあるのだと考える方で、落ち込むことが多く可愛そうなのですが、不甲斐なさを自分に向ける分、複雑な精神性がありながらも穏やかな人柄です。
そんな長男は私にとって癒やしの存在で、私にとっては意志の疎通がスムーズで一言話すだけで気持ちもわかってくれます。
私も話をかけたくなるので、より距離を感じないのです。
言い換えれば、長男は私の分身のように感じます。
でも、fは、話しかけるにも、邪魔をするな的な空気を感じてしまい、声をかけるにも躊躇したくなります。
たまに感じることは、気を使ってくれて、優しい子というものなのですが、普段、近付こうものなら「汚い」などと言って私に関わらせないように仕向けてくるので、温かな関わり合いなどできぬままです。
この距離というものがあるせいでfに教えてあげたい事もうまく伝えられないのです。
そして、もっと辛いのは、fの気持ちがわかってあげられないことがあり、それを聞いても私には信用が無いようで、不機嫌な態度を取られてしまいます。
こんなときは私も逆上して怒鳴りまくるのですが、それでは何も解決せず、fが「はい」と返事をして黙り込むだけです。
fは私に気持ちもわかってもらえないと思っているのだろうなと切なく思うこともあります。
それでも私の立ち振舞いを見せていれば学んでくれるだろうと思っています。
そんなかなでも、ホッとすることがあります。
以前は、一緒に電車に乗って、私が対話をしようと話しだすと、首の高さですが人差し指を立てて「シー」っというポーズを取りました。
家の外では、本人が話さないだけではなく、一緒にいる私にも話をさせてはくれませんでした。
それが、いつの間にか、電車の中で話しかける私に耳を近づけるように聞いてくれるようになったと気づきました。
この間も、私の話したことに聞き返すように、「なに?」と聞くではありませんか。
私は感激しながらも、何事もなかったかのように、同じことを話しました。
こうして、緘黙の症状も良くなってきたことが嬉しくて、何より社交的な希望を持てるようになりました。
今もなお悪たれはついてますが、穏やかな環境の中でfは癒やされ、心も落ち着いて、本来の自分らしくなれることでしょう。
希望的観測ですが、良い変化を感じています。
私が高校一年の時に描いた似顔絵です。
榊原郁恵さんと桜田淳子さんです。
FBでもアップしたのですが、クローゼットを整理していたら、
私が高校一年の時の
スケッチブックが出てきました。
懐かしいです。
陸上部で走るのが好きでしたが、絵も好きで、他にもたくさん好きなことがありました。
私は結構高校生活を楽しんでいたと思います。☺
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