場面緘黙症に関することです。
症例の少ない場面緘黙です。
したがって、認知度も低いと思います。
不安症の中の一つの症状です。
自分が何かをすることによって、叱られてしまうのなら、何もしなければ叱られません。
自己防衛として起こる症状と言われています。
「それを自己コントロールして話さない」というならば問題ないのですが、
「話さないということを自分でもコントロールできない」のです。
つまり、「話せないのが緘黙です。」
話せないのは、その人の意思ではなく本能的に脳が決めた、
いわば脳の掟というわけです。
脳の掟を元に戻していくことは、それほど簡単ではないのです。
だからこそ、周囲の理解の必要性があるのです。
緘黙の場合、「緘動」といって、身を隠す様な症状があります。
人目につかないようにしている。
という表現で伝わりやすいでしょうか。
例えば、f は、
家から一歩外に出ると、こちらが会話を仕掛けると迷惑がり、
「シー」と、薬指を立てて「黙って」というジェスチャーをします。
不安症、緘黙症は、経験を重ねるうちに身を守る手段として、
自分の存在をかくしてしまっているということになると思います。
しかも、自らのそうしようとしているのではなく、脳の掟がそうさせているのです。
金縛りにあっているようなものですから、
「話せ」と言われたからと言って話せるものもではないのです。
理解者が増えることで世の中の認知が広がり、
当事者も生きやすくなることを願っております。
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