無理のないギフテッド教育のあり方
2017年 08月 07日
どの様になされていくのが良いのかと、考えてしまいます。
私の理想は、
一般のクラスのメンバーひとりひとりが活き活きと学べることが理想の教育である様に、
ギフテッドの子供達も、活き活きと学べること自体が、
ギフテッドの子達のための教育、つまりはギフテッド教育となるのだと思います。
それには、
ギフテッドということが誤解なく認識され、
(例えば、「人と同じことを同じタイミングでしていない。」
という様な、表面的な不都合だけにとらわれて、叱られていたら勉強をする気さえ滞ります。)
活き活きと学ぶことを
教育者は、邪魔をせず、応援していけばいいと思います。
そして才能を伸ばすという意味では、
本人の気づきはもとより、保護者や周りの者たちが伸ばしていけば良いのだと思います。
そうもいかない環境の子供もいますから、次に考えられるのは、公教育の充実です。
試験で選別されたものだけをギフテッドというラベルを貼って、その子達だけを教育することでは、
その教育を受けるべき子供がとりこぼされてしまう不安があります。
公教育で提供できるギフテッド教育としては、
ある分野の教育を、どのレベルに限らず、
希望するものが分け隔てなく受けられるといいと思います。
授業でも、問題プリントでも、ネット授業でも、様々な手段で。
という意味では、今現在でも、親御さんのサポートや本人自らなされている教育として成り立っているわけです。
本人を磨くのは、本人や周りの人達ということです。
従って、私の思う無理のないギフテッド教育のあり方としては、
周りの特に学校の先生方の理解があることと、
学びのスタイルやメンタルをつつく様な
学びやメンタル全般の邪魔をしないこと
ということになります。
ギフテッドの子供達がいわれのない罰を受けるなど、見てきたものとして、思うことですが、
ギフテッド教育 = ギフテッドクラス教育
ではありません。
子供達を理解して尊ぶことが真のギフテッド教育だと思います。
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昨日は、板橋の花火大会に f の中学校のママ友さんたちが誘ってくださいました。
f の小学校のママ友さんたちと会う約束がありいけなかったのですが、
写メを送ってくださいました。
ピカチューだそうです。
可愛い❤️💕
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