上の子が小さい頃は、たまに会ういとこたちと兄弟姉妹の様に過ごしていました。
しかし、ふぅが小さい頃は、従兄弟たちがすでに大きくなり、その関わりもありませんでした。
強いて言えば、いとこではない親戚の小6の子がひとり仲良くはしてくれていますが。
思えば、兄ともまともに話ができないふぅは、孤独はもとより、もどかしさを感じているのだろうなと思います。
場面緘黙とは、兄弟とすら話ができない場合もあります。
緘黙には素質があるのですが、
きっかけは、辛い経験をしたことです。
その前は、緘黙症ではなかったと思うのですが、この子と会話のキャッチボールをした記憶があまりありません。
覚えていないだけで、その微かな記憶はあるのですが、
小さい頃のふぅを拒否していた自分がいたのでそう感じるのでしょう。
確かにふぅは公園やスーパーで、他の子達に話しかけ仲良くなっていました。
リーダーシップをとって、周りにはたくさんの子達がいました。
なのに私はふぅと会話をしていることを思い出せなくなりました。
実際にはやり取りをしている動画があるので会話もしているはずなのです。
ふぅは、黙々と自分のやりたいことをやり、手もかからない様に見えましたが、
些細なことでぎゃ〜と喚いて癇癪を起こしていました。
そのぎゃ〜が始まると、私は訳もわからず、ストレスでいっぱいになりました。
敏感な子供といるのはとても辛く、子供から目を背けていたことが、会話をした覚えがないという錯覚を導き出させているのでしょう。
ふぅを孤独に仕向けているのは、私かもしれません。
スピリチュアルではありませんが、
思考は現実化すると聞きます。
私の思い込みを払拭しなくてはいけないと感じています。
ふぅが話せなくなってから、逆にふぅを支えてくださる方との出会いがたくさんありました。
そして、皆さんに支えてくださったお礼を言うと、多くの方が「こちらが力をもらっている」とおっしゃり、情けをかけてくださいます。
そして私にもたくさんの出会いを運んできてくれました。
この子は、孤独どころかものすごく人との繋がりを持った子なのだと、感じています。
蛇足ですが、
自ら仕掛けたマインドコントロールでふぅとの触れ合いの記憶を薄めてしまったということなのでしょう。
私が記した記録を読み直すと少しずつ温もりが蘇ってきます。
問いかけに答えるふぅの姿まで。
*****
自信をつけてあげたいです。
**************
ご覧いただきありがとうございます。
拙いブログですが、皆様の応援に支えられ感謝の気持ちでいっぱいです。
この度も応援のポチを下のボタンにクリックしていただけると励みになります。
↓↓↓↓↓↓↓