f が中二の時に、学校のHRMでなりたいものを用紙に書きました。
それには、
「何かを教える人」
と書いてありました。
お話できないのにそういう人になりたいなんて、どういうつもりなのかと思っていました。
私のそういうマイナスな思い込みが、
子供の可能性を阻むことになります。
もしかしたら、人と普通に話せるようになるかもしれません。
その様に本人が無意識に思っているのならば、
私はなんて失礼な事を思ったのでしょう。
考えてみれば、人に教えることはすでにできることなのです。
fは、先日の様にお友達に将棋を人に教えるときは、躊躇なく説明をしています。
自分の撮った写真を見ながらここはこんなところでどうだったとお友達に説明していました。
緘黙であっても、この様に人に説明することなら話ができます。
そういうことに気づき、すごくうれしく思いました。
これは、本人がすでに自覚していることなのですね。
そのことが一番嬉しいことです。
親としては心配で、できないことばかりを気にしてしまいますが、
できないと思っていた類のことでも
案外できることってあるものだと思います。
普段、話せないから説明もできない。
のではなく
普段、話せなくても説明ならできる。
灯台下暗しとはこういうことも言うのかもしれません。
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紅一点。
友人のライブに行ってきました。
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