緘黙の子の辛さ。
2017年 05月 28日
また、学校で嫌なことをされたと言っていました。
言い返せないということが、さらにことを大きく捉えてしまうのだろうと思います。
また、 f はあまり話さないので、おとなしいとみなされ、軽く見られた結果、この子なら嫌がらせをしてもよいくらいに考える子がいるのもいるのかもしれません。
そもそも些細なことが気になる子ですから、毎日自分をなだめる努力はしていると思います。
その先に引き摺らない様に人との接触を避けようとしている段階では、お友達を作るという課題はまだまだプレッシャーになることなのかも知れません。
合理的配慮というものがメンタル面にもなされるのであれば、大人には
「こんな子も仲間に入れる言葉添え」をしてほしいと思ったりもします。
そんなところから、子供達の正義感というものが育つんじゃないのかなと思ったりもします。
弱い立場だからこそ見えてくることです。
しかし、一般的にこんなことは人にしてもらうのではなく自分で解決すべき問題でしょう。
お友達を作ってほしいなどという相談などした覚えはないのですが、
中1の担任が「いくらひとりでいるからって、友達は作ってあげるわけにはいかないですから…」と言われた時など、
そんなことはわかっているのに、わざわざそんなことを言う気が知れませんでした。
その時の「特別別扱いはできません。」ということばには、「合理的配慮」という言葉すら知らないのだと衝撃を受けました。
「そういう教科以外の問題は、忙しい先生方には無理なので、カウンセラーに相談してください。先生たちは暇じゃないので。」と、話されていらっしゃいました。
学校にいる大人に子供の現状を分かっておいて欲しかったのですが、
願ったわけでもない事の必要以上な拒否の正当化には、不安と孤独感がより一層募ったものです。
今年の担任がどんな思いでいらっしゃるかわかりませんが、
我が子がクラスメイトのことで心を痛めていても、担任には話すこともままならず、今は、本人がどうにか解決していく事を見守るだけです。
言葉が発せないということは、辛いと思うのですが、他人(担任)となれば特別扱いはできないと、気にもされない事なのでしょう。
もちろん他人に任せようなどと思っているのではありません。
緘黙で辛い目にあっている時点で人より辛い思いに耐えています。
自分で耐えて、回避しているからこそ、友達から遠ざかっているのでしょう。
お友達は、気にしてくれていたり、 f のことが好きだと言ってくれている子もいるのに、「避けているのは本人」と言う皮肉な結果にもなっているのかも知れません。
少しは改善されてきた緘黙の症状がもっと軽くなっていく事を祈るばかりです。
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レースを描きました。^_^
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